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越中国法然上人二十五霊場(富山県)   第十四番札所 護念山 専光寺

第1番 西 養 寺
第2番 大 栄 寺
第3番 大 念 寺
第4番 瑞 現 寺
第5番 布市 来迎寺
第6番 西 願 寺
第7番 阿 弥 陀 寺
第8番 守山 極楽寺
第9番 曼 陀 羅 寺
第10番 光 山 寺
第11番 西 念 寺
第12番 西 念 寺
第13番 正 覚 寺
第14番 専 光 寺
第15番 法 善 寺
第16番 法 傳 寺
第17番 医 王 寺
第18番 坂下町極楽寺
第19番 西 福 寺
第20番 博労町極楽寺
第21番 大 信 寺
第22番 大 楽 寺
第23番 五番 極楽寺
第24番 大 泉 寺
第25番 見附来迎寺
第1特別霊場
寶 樹 寺
第2特別霊場
光 得 院
御詠歌
ちとせふる こまつのもとを すみかにて
     むりゃぅじゅぶつの むかへをぞまつ
千とせふる 小松のもとを すみかにて 
無量寿佛の 迎へをぞ待つ

第十四番 護念山 専光寺
開山上人 廓蓮社状譽上人寛流大和尚
創建年 大永元年(1521年)
【由来】
当寺は大永元年(1521年)廓蓮社状誉上人寛流大和尚(天文17年 1548年3月18日遷化)の開基とされているが天保2年(1831年)以来数度の火災にあい由緒縁起等焼失し、詳細は不明である。  

元は黒部市内生谷にあり松倉に移り、落城後魚津城下の現在の漁港付近に、
その後 現在の立町(本町)に移ったと伝えられている。
現存する過去帳は寛永年問(1824年)より記載されている。
現在の伽藍は先住第三十三世稱誉敏雄上人代に本堂(昭30年)鐘楼堂(昭49年)山門、庫裏等住職並びに檀信徒の懸命の努力によって整備されたものです。

本堂には弥陀三尊、両大師、釈迦三尊、地蔵菩薩、閻魔大王、西国三十三カ所観音 菩薩、秘仏観音菩薩像等を安置檀信徒の信仰の中心と成っている。
秘仏観音菩薩像は上杉謙信の越中攻めの為、敗北した松倉城主椎名一族の守り本尊として代々奉持崇敬されていたもので、落城にさいし城主椎名右衛門は尊像を家臣 寺崎某に託した。寺崎某は専像を奉じ山を下り、麓に堂宇を建立(現在の観音堂地区)村の氏神として崇拝した。

時くだりある夜の夢のお告げにより専光寺に遷仏する事となり、以後故事に習い33年目毎の御開帳を檀信徒と観音堂地区住民と合同で祝っている。
最近では平成2年10月27日・28日の両日盛大に執行され、初めて氏子総代宅で秘仏観音菩薩像里帰り開帳法要が営まれた。



本霊場 正林寺(京都)
〒605-0927 京都市東山区渋谷通東大路東入三丁目上馬町
法然上人はここにて、関白兼実公と念仏法談をされたところです。四国へ流罪となるときここより出立されたといいます。
もと小松内大臣重盛(しげもり)公の別邸で、信仰の厚い平重盛は邸内に四十八の灯籠を点じて念仏行道された道場であった。
平家没落後、九条関白兼実(かねざね)公の山荘となり、月輪御殿造営の時この地に一宇を建立し、法然上人を招いて法談を静聴してついに建仁2年剃髪された旧跡である。
また法然上人が讃岐の国へ御流罪の折、この地より出立されたと伝えられている


  ご朱印

 冥加料
    300円


 専用ご朱印帳

   2,000円
朱印